蟹江町のみどころ
蟹江町は、名古屋市に隣接し、名古屋駅よりJR・近鉄で約10分、車で約20分と交通アクセスに恵まれたまちです。まちの中には蟹江川をはじめ、日光川、善太川、福田川、佐屋川、大膳川という6本の河川が流れており、「水郷のまち」を象徴する趣があります。川と生活が密着し、水とともに育まれた自然豊かな風景が広がっています。
また、町内に湧き出ている温泉は、名湯百選にも選ばれた源泉かけ流しの温泉で、多くの方に親しまれています。この温泉を利用した無料の公共施設「足湯かにえの郷」も好評です。蟹江町でほっと一息してみませんか?
蟹江百景
ちょっとスローで、ちょっとレトロで、どこかノスタルジックな風景をのぞいてみませんか。
冨吉建速神社・八剱社
須成祭の舞台となる神社。両社の本殿はともに室町時代の建築様式を残しており、国の重要文化財に指定されています。
龍照院
(木造十一面観音立像)
高さ1m73㎝、やさしい表情が特徴の蟹江山常楽寺龍照院の御本尊十一面観音立像は、国の重要文化財に指定されています。毎月18日を公開日として御開帳しています。
尾張温泉
愛知県で唯一、温泉療法医がすすめる日本名湯百選に選ばれた源泉かけ流しの温泉です。(53度の高温泉から27度の低温泉まで、新鮮なお湯を毎分1250リットルという驚きの湯量で、最大500名が入浴できる大庭園風呂が自慢です。)
足湯かにえの郷
尾張温泉からの源泉を利用した、無料の公共足湯です。源泉100%かけ流しの足湯は癒し・ふれあいの場となっています。
まちなか交流センター
「みちくさの駅楽人」
各種講座の開設や観光・文化・産業のPR拠点としての施設です。気軽に誰でも訪れることのできる出会い・交流の場です。
大相撲ストリート
第65代横綱貴乃花、第68代横綱朝青龍など力士16名の足型が設置され、相撲ファンにはたまらないスポットとなっています。
蟹江城址公園
永享年間に北条時任により築城された蟹江城は、度重なる合戦と地震により崩壊してしまいました。現在は本丸井戸と石碑が残る公園となっています。
源氏塚公園
園内には「源氏塚」があり、平治の乱で敗軍の将となった源の義朝が知多内海へ落ち延びる途中、ここで漁民のもてなしを受け、知多内海へ向かったとの言い伝えがあります。
佐屋川創郷公園
水と人とのふれあいを大切にした「水郷のまちかにえ」のシンボル的存在です。
希望の丘広場
水害発生時に500人が一時避難可能な高台と芝生公園、散策路、バーベキュー場、フットサルコートを兼ね備えた町民憩いの公園です。
佐野七五三之助墓所
天保5年(1834年)尾張国海東郡須成村に生まれ、新撰組の隊士となった佐野七五三之助(さのしめのすけ)は、新撰組の総員の幕臣取立に抗議し、新撰組からの離脱を企てましたが挫折し、京都守護職邸で仲間3人とともに自刃しました。壮絶な最後が後世に伝わっています。享年34歳。
銭洗尾張弁財天富吉神社
御祭神は富吉龍大神で、この境内の銭洗いの池にて、財宝を洗えば福徳が授かると伝えられています。
水辺スポット
蟹江川の水辺に整備されたこの公園は、園内に花菖蒲園、遊具を備えた町民憩いの場です。
へら鮒釣り
佐屋川は全国的にも有名なへら鮒釣りのスポットです。豊かな自然が残り、代表的なへら鮒を始めボラや鯉が泳ぐ絶好の釣りポイントです。
蟹江町歴史民俗資料館
蟹江の歴史や、水郷ならではの文化に関する展示のほか、小酒井不木資料展示や不木碑(江戸川乱歩筆)もあります。
小酒井不木
大正末期から昭和初期にかけて探偵小説家として活躍した小酒井不木は、蟹江新田村(現蟹江町大字蟹江新田)の日光川沿いの家で生まれました。蟹江町図書館の西には小酒井不木生誕地碑(黒川紀章筆)があります。
鹿島神社文学苑
境内にはまちの風情を読んだ近代文学・俳人の句碑が26基にわたって並んでいます。
吉川英治句碑
文豪吉川英治は蟹江を「東海の潮来」と名づけ、佐屋川湖畔の風景を愛しました。「佐屋川の土手もみちかし月こよひ」と詠んだ句が刻まれています。
蟹江特産いちじく
蟹江町は、昔からいちじくの名産地で、最盛期の昭和14年ごろには名古屋方面へ向かう貨物列車を「いちじく列車」と呼ぶほどの収穫量がありました。今でも蓬莱柿(ほうらいし)やドーフィン、ホワイトゼノアの各品種が栽培されています。
いなまんじゅう
外見は普通の焼き魚。しかし、中には銀杏やしいたけを練りこんだ豆味噌がぎっしり詰まっています。味噌と魚が一体となった、風味豊かな蟹江の郷土料理・名物です。
須成祭の紹介
須成祭は、須成地区の氏神である冨吉建速神社・八剱社両社の祭礼として夏の疫病退散と五穀豊穣を願うために行われ、400年あまりの歴史があるとされています。祭りの中心となるのは、8月第1土曜日・翌日曜日に行われる「宵祭」・「朝祭」で、宵祭では提灯をつけた巻藁船が、朝祭では人形を乗せた車楽船が囃子を奏でながら蟹江川を上り、優雅で幻想的な光景をみせてくれます。朝祭翌日には、祭りのご神体として祀られた葭に災厄を託して川へ流す「神葭流し」が厳かな神事として行われ、その後10月まで行事が続くため、別名「100日祭り」とも言われています。
こうした一連の行事が伝統を守り続けられてきており、日本の夏祭りを理解するうえで重要な祭りであるということから、2012年に国指定重要無形民俗文化財となり、2016年には、33の祭りで構成される「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。
須成祭の役者について
須成祭の役者は、基本的に毎年新たに選出されます。次のような構成になっており、全て男性が務めます。
※ 横スクロールでスライドできます。役名等 | 人数 | 主な役割 | ||
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祭三役 | 宿大将 | 1名 | 祭りの主宰者 | |
祭総代 | 2名 | |||
若衆 | 桜花 | 1名 | 祭り全体の責任者 | 基本的に山乗を 兼務する |
桜次 | 1名 | 祭り全体の副責任者 | ||
車大将 | 2名 | 船祭りの責任者 | ||
山乗 | 6~8名 | 祭船の屋根上に乗る | ||
葭刈 | 原則6名 | 神葭神事に関わる行事を担当 | ||
稚児 | 稚児 | 2名 | 神のよりましとしての存在 | |
なす | 2名 | 祭囃子の大鼓(おおど)を叩く | ||
太鼓 | 1名 | 祭囃子の小太鼓を叩く | ||
楽 | 1名 | 祭囃子の大太鼓を叩く | ||
笛吹 | 1~2名 | 祭囃子の笛を吹く |
須成祭の行事
須成祭は100日祭りとも言われ、その起点は全ての祭り役者が決まる「稚児定め(ちごさだめ)」だとされていますが、祭りの準備はその前から進められています。各行事等の日程と内容は次のとおりです。
※ 横スクロールでスライドできます。日程 | 車楽船行事 | 神葭流し |
---|---|---|
朝祭22日前 | 稚児定め | |
朝祭14日前 | 宿入り | |
朝祭7日前 | 船がらみ(船の組み立て) | 葭刈 |
8月第1土曜日 (宵祭) |
みそぎ | |
天王(てんのう)参り・三寺参り | ||
宿囃子・祭船の運行 | ||
8月第1土曜日の翌日 (朝祭) |
山起(やまおこ)し | |
祭船の運行・天王囃子 | ||
山下(やまおろ)し | ||
朝祭1日後 | 神葭(みよし)流し | |
朝祭7日後 | 棚上(たなあが)り | |
朝祭77日後 | 棚下(たなおろ)し |
須成祭のみどころ
稚児定め(非公開)
「稚児定め」は朝祭の22日前(宵祭の3週間前の土曜日)の夜に行われます。この行事で、役者衆を務める子ども6名が正式に決まります。提灯を持った若衆が候補者の家々に出向き、玄関先で依頼をします。承諾を得られれば、正式決定となり、これで全ての祭り役者がそろうことになるため、この行事が「100日祭り」の起点とされています。
宿入り
朝祭の2週間前に須成祭の諸役が初めて宿に入る「宿入り」という行事が行われます。現在、須成祭の宿は、須成公民館のホールに設けられます。宿入り式では若衆が進行役を務め、役者衆が祭囃子を一通り演奏します。宿入りが終わるとこの日から祭りに向けての準備がいっそう本格化します。
葭刈
朝祭の1週間前、祭りのご神体となるヨシを刈りに行く「葭刈」が行われます。葭刈では、白装束の若衆が竿で進む葭刈舟に乗り、「ちまき」を投げながら蟹江川河口へと下っていきます。近年では河口近くの水辺スポットで舟入区民の歓迎をうけてから日光川沿いの葭刈場へ向かいます。神事を行ってから葭を刈り、午後には須成へ戻ります。
船がらみ
葭刈と同日の午後、祭船の組み立て作業が行われます。幅2.6m、長さ15mの鋼鉄船を平行に二艘並べた上に、二階造の屋形が組み立てられ、屋根の上には大屋台、小屋台が載せられます。そして宵祭の巻藁提灯をさすための台と、長さ約15.5mの真柱が立てられるとほぼ完成となります。
みそぎ
宵祭に先立ち、稚児以外の祭船に乗る者たちが水を浴びて身を清めます。かつては蟹江川でみそぎをしていましたが、現在は仮設のシャワーの水をくぐって行われます。宿の前で水を浴び御葭橋を渡り北上し、開けたところで多度大社へ向かって晴天祈願を行い、神社にて参拝をした後、宿に戻り終了します。
天王参り
宵祭当日の午後、祭船に乗る者全員が神社に参拝する「天王参り」が行われます。衣装を身につけた役者たちの行列は、歴史絵巻を再現したような趣きがあります。行列は神社にて神子太鼓の演奏で迎えられて拝殿へ入り、参拝の後に神子太鼓で送られます。その後には、稚児が区内の全ての寺に参る「寺参り」が行われます。
宵祭
「宵祭」は8月第1土曜日の夜に行われます。まず、祭り宿で「宿囃子」を奏してから、祭り役者らは行列をつくり飾橋まで行き、船に乗り込み、囃子を奏しながら蟹江川を上ります。船にはたくさんの提灯が飾られますが、半球形に形作られる巻藁提灯は一年の日数、高くそびえる真柱の提灯は一年の月数、正面のほおずき提灯は一月の日数あるとされています。祭り船を通すために御葭橋が上がると、祭りは最高潮を迎えます。船が天王橋までたどり着くとほおずき提灯と餅が観衆に投げられ、宵祭は終了となります。
山起し
宵祭が終わると、深夜に「山起し」が行われます。宵祭の提灯台をはずし屋台を組み替え、人形を安置して朝祭の車楽船へと模様替えをするのです。車楽船に安置される人形は、イザナギとイザナミであるとされ、清めをした若衆が運ぶことになっています。屋根の上に梅花・桜花が全て飾られると山起しは終了します。
朝祭
「朝祭」は8月第1土曜日の翌日に行われます。役者たちは祭り宿の前から飾橋に向かうと乗船し、囃子を奏して出発します。船が御葭橋を通過し天王橋までたどり着くと一旦稚児たちは下船し、神社拝殿で囃子を一通り演奏します。これを「天王囃子」といいます。天王囃子が終わる頃、船では屋根の上を飾っていた梅花や桜花の枝を観衆に投げる「投げ花」が行われます。花を家持ち帰ると、夏病みしない、雷が落ちないなどといわれており、多くの人々が受け取ろうと手をのばします。その後稚児たちは再び乗船し、船は少し下流に戻り朝祭は終了します。午後には「山下し」があり、車楽船は解体されます。
神葭流し
朝祭の翌日早朝、「神葭流し」が行われます。神葭流しは一切の災厄を封じ込めた「御神葭様」を川へ流す行事です。神事の後、若衆が神社に祀られていた神葭の束を担いで蟹江川まで運び、十字に組んでから川へ流します。かつては実際に放流し、流れ着いたところで引き上げ祀ったそうですが、現在は葭刈船で曳いて辺りを一周させてから、川の中に留め置かれます。
棚上り
神葭流し6日後の日曜日、御神葭様を川から引き上げ神社境内に祀る「棚上り」が行われます。白装束の若衆が川から神葭を引き上げ、前日境内に準備された棚に上げ、川にあった時と同じ状態に組んで祭ります。この日から70日間、御神葭様を棚の上で祀る神葭祭りが行われ、地域の人たちは毎日交代で参拝します。
棚下し
10月下旬、朝祭の77日後に「棚下し」が行われます。朝、棚下しの神事が行われると、70日間祭られてきた御神葭様が若衆の手によって棚から下ろされ、境内の穴で燃やされます。こうして棚下しを終えると、須成祭全ての行事が終了することになるのです。
蟹江町内の祭り
9月の終わりから10月の中旬にかけて、蟹江町内の各地区で秋祭りが行われます。
蟹江の秋祭り
もともと稲作が盛んだった蟹江では、豊作を祝い、祈願するためにこの時期に祭りが盛んに行われるようになったと思われます。尾張地方の農村部でよくみられる「神楽」を奉納する祭りがほとんどですが、華やかな道踊りが特徴的な蟹江祭のような町衆の祭りもあります。また、10月第1日曜日に行われる鍋蓋新田の秋祭りは、蟹江町で唯一、桑名石取祭の影響を受けている祭りです。
蟹江祭
蟹江祭は、9月の最終土曜日と日曜日に行われ、城之町、上之町、北之町、中之町、五之町、海門、新屋敷、川西から計8つの屋形が出されます。土曜日の午後には神事があり、日曜日の午後には各町内が神社へ集まり、順に奉納が行われますが、土曜日の午後や日曜日の奉納の後は屋形が地区を巡行します。北之町や海門は囃子に合わせて「道踊り」の披露もあり、華やかな光景を見せてくれます。同日行われる駅前区(JR)の祭りも同系統で、囃子を奏でながら屋形が巡行します。
蟹江新町日吉神楽
蟹江新町日吉神楽は、9月の最終土曜日と日曜日に行われる蟹江新町区の秋祭りに奉納されるものです。高張提灯を先頭に、旗、宰領2名、羽織番3名、金箔神楽屋形、白木神楽屋形、笹神楽の順で行列し、それぞれの屋形には大太鼓と締太鼓を積み、笛の演奏に合わせて細長い竹バチで太鼓を叩き高い音色を響かせて巡行します。こうした巡行の様子が伝統を伝えており、町指定無形民俗文化財になっています。
神楽
蟹江町周辺の地域には「神楽」と呼ばれる屋形が出る祭りが多くあります。元々は4本の柱のなかに獅子頭を納めて運んだものだったそうですが、近隣と張りあったため次第に派手になっていき、彫刻や金箔で飾られ豪華になっていったそうです。蟹江町内では、9月最終土日に蟹江新町、今、源氏才勝、10月第1土日に舟入、西大海用、10月第1日曜に東大海用、西之森、10月第2土日に本町分、体育の日に須成川西、富吉といった各地区の秋祭りに巡行・奉納されています。
神楽太鼓
神楽屋形には鋲打ち太鼓と締太鼓が積まれ、これを交互に叩き演奏します。太鼓は皮をできるだけ強く張り、細いバチで金属音のような甲高い音色を響かせるのが特徴です。
神楽の太鼓の竹のバチを木のバチに持ち替え、拝殿や舞台で披露される神楽太鼓を伝承している地域もあります。バチを回転させたり投げたりしながら叩くことから、曲太鼓あるいは曲打太鼓ともいわれます。蟹江町内では、須成鼓笛保存会、西大海用神楽太鼓保存会、海東流神楽太鼓保存会が盛んに伝承活動をしており、須成祭や秋祭りのほか、催事のアトラクションなどでも活躍しています。